プロフィール

石橋美彩は、幼い頃から音楽に囲まれて育ちました。

母親がピアノとエレクトーンの教室を開いていたこともあり、幼少からピアノを習い、両親の愛と音楽に溢れ育った少女時代。最初に自分の小遣いで買ったレコードは、フィンガー5の「個人授業」でした。

高校に入ると友だちとバンドを組み、ボーカルを担当。稲垣純一、松任谷由実、他のカバーを中心に活動。3年の文化祭で大舞台のステージに上がった時、自分の歌で会場が盛り上がる瞬間に興奮を覚え、プロになれたら…という気持ちが次第に膨らんでいきます。

歌手を目指し、自らコンテストに応募したこともあれば、プロのスカウトを受けたこともありましたが、大学卒業後はOL生活を経て、いわゆる普通の主婦の暮らしに入りました。

やがて、長男を女手ひとつで育てる道を選び、父が経営する建設業の会社を手伝うようになります。そんな中、平成13年、父親が急逝、一人娘であったことから事業を引き継ぐことに。「子どもも育てなければいけませんし、父の会社を守る務めもありましたから、右も左もわからないなか必死で働きました」周囲の助けを借りながら、なんとか事業を安定させることができましたが、27年に今度は母が長い闘病の末に他界しました。

一時はプロ歌手を夢見たこともありましたが、仕事と育児に追われる日々にあって、歌は時に心を慰めてくれる趣味の域にとどまっていました。ところが、ある日、その歌を評価していた知人から、イベントで歌ってほしいという依頼を受けることに。

「母がいなくなった寂しさを忘れたい気持ちもあったと思いますが、お引き受けすることにしたところ、自然な流れに乗ったように歌との接点が増えていったんです」気付けば知人を介し、演歌・歌謡曲の世界では知る人ぞ知るプロデューサーに歌を聴いてもらう機会を得ていました。 そして、まさに何かに導かれるように、少女時代の夢だったメジャー・デビューの日を迎えます。

「田川寿美さんの『女…ひとり旅』や長山洋子さんの『蜩 -ひぐらし-』を歌ったことはありましたが、演歌を専門に勉強したことはなかったので、まさか声をかけていただくなんて思っていませんでした。歌謡曲にはなじんでいましたが、演歌は今も日々勉強中です。でも、せっかくプロ歌手としてやっていけるのではないかという可能性を見つけていただけましたし、私自身も演歌の奥深さを知って、もっともっと知りたい、歌いたいと思うようになりました。デビュー曲の『細うで一代記』は、私の半生を歌にしていただいた作品です。これから長く付き合っていくことになると思いますし、長く付き合っていけるようにしなければと気持ちを引き締めています。お蔭さまで事業の方は、息子やスタッフに任せられそうな状況になってきましたので、私は、母が自分の命と引き換えに導いてくれたのではないかと思える歌の道で、花を咲かせられるように努力を重ねていこうと思っています」

と、デビューの経緯や今後への思いを語る石橋美彩。その歌声で綴る「細うで一代記」は幕を開けたばかり。これから、どのような展開を経て、どのような物語となることか、歌謡ファンの皆さまには、どうぞご期待とご支援をいただきますようお願い申し上げます。